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仙台高等裁判所 昭和24年(を)20号 判決

被告人

增永昌信

主文

本件控訴は之を棄却する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人千葉公贇の控訴趣意第一点は、本件起訴は無効である。其理由は

(一)  起訴状の檢事署名の文字は誠に不判明であつて何人の記名なるか、又何という文字を表はせしものか誠に判読に苦しむ抑も此署名は其起訴者の職責を明かにし其執行の正確公明を期する所以のものである。然るに此記名部分は如何にも奔放不覊判読し難く斯の如きは全く記名のなきものと区別なしといはねばならない。勿論此署名は署名自体で知り得るものでなければならないと信ずる。

(二)  起訴状の日附は始め昭和二十四年二月十五日と記載したものを其十五日の五の字を六と訂正したものである。(カーポン紙で書きしものを六と墨書した)然るに訂正には認印をせねばならぬ事は刑事訴訟規則の命ずるところであるに拘はらず其認印は無いのである故に此訂正は無効と言はねばならない。從つて此部分は依然前に記載した二月十五日なる日附の効力を持つことになる。併し之れは事実二月十六日に記載せしものと思はれる夫れは五の字を消して六の字を加へたことによつて明かである。さうすると之れは二月十六日に於て二月十五日の効力を有するもの即一日遡及した効力を持たせる起訴状を記載作成したということに帰着する。即此点からも此起訴状は無効ということになる。

此事実は起訴状を援用して疎明とする。

というにある。

よつて調査をして見ると、なるほど本件起訴状の檢察官の署名は甚だ読みにくい。しかし、之をその名下に押してある印と対照してみればそれは「富永進」と書いたものであることはこれを判読し得ない訳ではないから、これを以て本件起訴状に有効な署名がないということはできない。又本件起訴状の日附は、初め昭和二十四年二月十五日と書かれたものであつたのをその中の「五」の字を抹消しその傍に「六」の字を挿入して昭和二十四年二月十六日と訂正されたものであるところ、この訂正については、欄外に「一字訂正」という記入をしたのみで、訂正の個所に認印を押していないものでありこのことが刑事訴訟規則第五十九條に定める文字の挿入削除に関する方式に反することは勿論である。しかし乍ら、このような場合に形式的に、挿入削除の個所に認印が押されていないという一事のみによつて直ちにその訂正を無効とし、ひいて書類そのものを無効とし、ひいて書類そのものを無効と解すべき根拠はなく、却つて、右訂正乃至書類そのものの有効無効は、之に関する各般の状況を実質的に調査して之を決すべきものである。ところで、本件起訴状に押してある原裁判所の受附印の日附が昭和二十四年二月十六日であること及び記録中の山形地方檢察廳檢察官富永進(即ち本件起訴檢察官)の原裁判所裁判官宛の令状差出書中に本件公訴は昭和二十四年二月十六日に提起せられた旨の記載があること等に徴すると本件公訴は昭和二十四年二月十六日提起せられたものであることは明白で、これによれば、本件起訴状は、元來昭和二十四年二月十六日附として作成せられるのが相当であつたものであるから、もし、それを同月十五日附として作成したならば、之を同月十六日に訂正するということは正に適当な措置で、從つてかかる訂正の行われることは、極めてあり得べき事柄であつたといわなければならない。このような事実を、記録を通続しても、本件起訴状の作成者たる檢察官富永進において前記訂正の眞正を爭つた形跡がないことと綜合すると、前記の日附の訂正は、むしろ本件起訴状の作成者たる同檢察官において之をしたもので、偶その訂正個所に認印を押すことを失念したものに過ぎないものと解するのが相当である、果して然らば、前記日附の訂正は有効に行われたものであつて、本件起訴状には所論のような瑕疵がない。論旨はいずれも理由がない。

以下省略

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